東京街歩き高低差研究所

ブラタモリに憧れて国土地理院の海抜と江戸古地図を頼りにフラフラと。

江戸城外堀跡を探る①

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四ツ谷駅から上智大学沿いに外堀の土手沿いを歩くとホテルニューオータニの手前で土手が途切れます。喰違見附とよばれるここは江戸城36外郭門のひとつ。通常外堀の城門は桝形門と呼ばれる石垣で作られた強固な城門ですが、ここは土手を鉤型に互い違い(喰い違い)にすることで直進を妨げる構造。江戸時代初期の形式だそう。江戸城外堀では標高が一番高い地点らしく景色もいいです。およそ海抜は36m

喰違見附から下に見える水面が弁慶濠。弁慶橋ボート場があって平日でもバス釣りの人がチラホラ見られます。濠の先が次の城門になる銀座線、丸ノ内線の駅名にもなっている赤坂見附こちらは桝形門の一部と石垣が残っています。こちらで海抜25m

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 赤坂門をでると急な下り坂で複雑な赤坂見附の交差点をこえ青山通りに繋がっています。青山通りは交差点を底に上り坂。左手に東急エージェンシー東北新社、右手には豊川稲荷東京別院

赤坂見附の交差点付近は高度10m豊川稲荷の高度が23mなので赤坂門(海抜25m)からも豊川稲荷から見ても交差点はまさに谷底。ちなみにこの豊川稲荷は愛知県豊川市にあるお稲荷様の東京別院。てっきり神社だと思っていたら曹洞宗のお寺。正式名称は妙厳寺

江戸時代に大岡越前守忠相が屋敷内に勧請したのが始まりだとか。青山通りを挟んだ元赤坂小学校跡地あたりまでがお屋敷だったそうです。狐さんも筋骨隆々で精悍です。

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さて戻って赤坂見附の交差点を左右に横切る道が外堀通りで、文字通り江戸時代の外堀の埋め立て跡。弁慶濠で現在の堀は終わってますがここから溜池、虎ノ門、新橋方面に向け堀が続いていたようです。現在の溜池交差点付近は堀というより文字通り溜池だったようですね。湧水もあったみたいです。

高低差でいうと溜池に向かう左手にあるのが赤坂山王日枝神社江戸城裏鬼門の守り神ですがこちらの山頂の海抜が28m。山王下が7m程度なので結構急な山になっています。こちらが表参道ではないですが参拝客用にはエスカレーターも。珍しいですよね。

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溜池の交差点を過ぎるとJTビル前あたりで外堀通りマッカーサー通りに分岐します。この辺りが旧溜池の端っこだったそうで、溜池口と呼ばれ堀に高低差があって滝のように水が落ちていたそうです。

外堀通りを進みます。商船三井ビルの敷地内にこっそりと石垣跡があります。この上に江戸城外堀では唯一の櫓が建っていたそうです。この石垣の角で堀は曲がって文部科学省の建物方向に今の外堀通りを渡って繋がっていたそうです。対岸にも石垣があります。

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銀座線虎ノ門駅の改札に降りる11番出口の階段途中には、江戸時代の外堀の水位と石垣が見られる施設があります。水面の位置を御影石で表しています。またその先にも発掘で露出した石垣が見られるところがあってなんかロマンを感じます。

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文部科学省の石垣跡の見学を終えると虎ノ門の交差点。3つ目の江戸城外郭門跡です。史跡は残っていません。地名のみがここに門があったことを語っています。江戸時代の古地図の案内板がありました。推測するに霞が関3丁目近くのこの写真の辺りに虎の門見附があった感じでしょうか。ちなみにこちら虎ノ門跡の海抜は6.7mです。

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 紀尾井町の喰違見附から赤坂見附を経て3つめの城門である虎ノ門見附まで歩いてきました。今日の終点はこのあたりにします。せっかく古地図の案内があったので周りをふらふら歩いてみると金毘羅さんに遭遇。ビルの一階に鎮座しています。

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 古地図でみるとここは讃岐丸亀藩京極家の江戸屋敷だったようです。なるほどそれで讃岐の神様金刀比羅宮があるんですね。豊川稲荷と同じくここも屋敷内の金毘羅さんを一般の町人たちにも開放していたそうです。お百度詣りの百度石もありました。ちなみにこちらお堀沿いに鎮座していたようですね、海抜は6.5mです。

 

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