東京街歩き高低差研究所

ブラタモリに憧れて国土地理院の海抜と江戸古地図を頼りにフラフラと。

四谷の谷を探す

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四谷の語源はよくわかりません。四谷という地名は元和2年(1616年甲州街道四谷大木戸という関所が作られたのが初見のようです。今の四谷四丁目あたりです。そのころからこのあたりは四谷と呼ばれていたようです。普通に考えれば谷が四つあったんでしょうか。ただJR四ツ谷駅から新宿御苑方面への新宿通り(甲州街道)はまっすぐ平坦で、渋谷のようにスリバチ状の地形でもありません。

四谷が栄えてくるのは寛永13年(1636年)四谷見附の外堀を掘削するために付近の寺社や町屋を、今の四谷愛住町四谷舟町須賀町若葉2丁目一帯に移転させてからのようです。その結果寺院を中心に寺町が形成され発展していったようですね。

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国土地理院地図(陰影起伏図)四谷エリアの谷地

高低差のわかる立体地図で見てみると上記の四つの町はすべて谷地形の崖上にありそこに寺院が集中しています。(舟町は愛住町と荒木町の間にあります)すでに四つの谷地が認識されており、そこに町の移転も決まったとしたら?…。四つの谷を探して歩いてみたくなりました。

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JR信濃町駅から歩いてみます。永井信濃守の屋敷があったことに由来する地名だそうです。信濃町駅の海抜は35m。駅を出て左手に坂道を下ると千日谷と呼ばれる谷地にでます。こちらの高度は21m。三色旗で有名な宗教団体の建物が並びます。谷の右手は明治記念館、まっすぐ進んで赤坂御所の門を折れて首都高をくぐると若葉町に入ります。海抜は17mまで下がっています。ここから新宿通りまでクネクネと小道が続きます。

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さて地図を頼りに最初の路地を左折して墓地の崖横の窪地を進むと若葉公園に突き当ります。ここは三方が崖の谷底地形。右手が須賀町の台地のよう。公園の高度は20mですが両脇の崖上は30mあります。四谷エリアで見つけたひとつめの谷です。右手の崖上には寺社が点在しているようです。須賀町に移転した寺院でしょう。

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もとの通りに戻って北上します。右手の高台にまたいくつか寺社が見えてきます。若葉二丁目に移転させられた寺社でしょうか。しばらくいくと須賀公園の交差点。右側が若葉二丁目の台地、左側が須賀町の台地になって地図で確認するとつきあたりが円通寺坂の終点でここも三方が崖です。

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交差点を左手に進むと須賀神社、映画「君の名は。」の聖地です。四谷十八ヶ町の総鎮守だそうです。祭神はスサノオノミコト。四谷の中心と考えていいのかもしれません。須賀神社の海抜が31m。須賀公園の交差点の海抜が20m。右手の天王坂を登りきった新宿通りの海抜が34m。深い谷地形です。二つ目の谷を見つけたような気がします。

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円通寺坂を登りきると新宿通りの津之守坂入口の交差点です。通りを渡った四谷荒木町には松平摂津守の屋敷跡があって坂の地名はそこ(摂津之守)から来ています。明治になって屋敷が退いた後、池や庭園が人々に知られ景勝地として料理屋が軒を連ね芸子が行きかう花街へと発展し、現在も「車力門通り」という雰囲気のいい街並みになっています。夜はちょくちょく来ますが昼間の荒木町は初めてです。

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車力門通りを進んだつきあたりの松平摂津守屋敷跡周辺は趣のある窪地で一番低地に「策の池」(むちのいけ)という小さな池があって、片隅には津の守弁財天が祀られています。テレビ東京が池の水を抜く前に「鉄腕DASH」の企画(新宿DASH)の一環で水を抜いていたあの池です。海抜は22m。完全な谷底地で周囲は四方が崖です。細長い階段をあがって外苑東通りにでます。「荒木町・舟町」の信号があります。この谷も四谷候補です。

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車力門通りと並行して杉大門通りが走っていてその通りの正面、外苑東通りを渡ったあたりが四谷舟町です。全勝寺をはじめいつくかの寺が集まっています。かつては杉林があり舟作り用の丸太の切り出しが行われていたそうです。舟町には谷地形は見当たりません。

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靖国通りまで新坂を下り一本筋違いの暗闇坂を登るあたりが四谷愛住町になります。この一帯もお寺が多く舟町と合わせて四谷北寺町と呼ばれていたようです。愛住町の寺町の高台から外苑西通り方面に降りていく階段があります。窪地です。三方を高い崖に囲まれた愛住公園があります。高度は24m。崖上はどちらも30mあります。四つ目の谷を見つけました。

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南に向かって新宿通りに出て右に曲がると四谷四丁目の交差点、四谷大木戸の碑がたっています。地図を片手に谷を探しながら歩いて来ました。かなり個人的見解ですが四ツ谷を見つけたような気がします。甲州街道(新宿通り)は尾根伝いに真っ直ぐ伸びていましたが左右に入ると谷地形があったんですね。

美濃高須藩松平摂津守の屋敷跡から「君の名は。」まで四谷の谷を探してみました。歴史あるいいエリアです。

 

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