東京街歩き高低差研究所

ブラタモリに憧れて国土地理院の海抜と江戸古地図を頼りにフラフラと。

池田山と島津山の松平家を探る

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五反田は有楽街の印象が強いですが桜田通りを境に池田山島津山という2つの高台に高級邸宅地があります。ともに江戸時代の大名屋敷跡です。江戸古地図を見ると五反田は江戸の外れで目黒川に削られた崖上の高台に屋敷があるものの田んぼや畑の表示が目立ちます。国道1号と思われる道も高輪台から先にはまだなかったようです。まずは雉子宮と書かれた神社を目指します。

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雉子神社は海抜3.1m五反田駅から桜田通りを少し登った右手にあります。国道1号沿いに鳥居がありますが階段を登るとビルの中に社殿があります。徳川家光が鷹狩りの際に訪れていたようで葵の御門があります。主祭神日本武尊。海抜は23m

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そのまま国道1号の坂を登りきると高輪台の交差点に出ます。6叉路の複雑な交差点です。海抜28.8mとかなり高いです。一番右寄りの道を行くと以前歩いた旧東海道二本榎通りにぶつかります。今回は信号を渡って国道1号の一本左の小道を進んでみます。

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しばらくいくと数メートル程度の段差の階段があって脇に三田用水路跡の案内板がありました。渋谷川(古川)と目黒川の間であるこの高台の尾根沿いに水路を通して目黒、大崎、白金、高輪、三田といった地域に玉川上水を分水して供給していたようです。海抜は29m

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直進して芝白金団地を過ぎて目黒通りには出ずに五反田方面に戻ろうとすると寺町に入ります。四角い高台の土地に浄土宗の寺院が集まっています。江戸古地図によると芝増上寺下屋敷となっています。行き止まりの多いこの崖上の一角にたくさんの寺院が集まっていて興味深いです。福沢諭吉墓所もありました。写真のお寺の案内標識の高度が30mです。

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寺町を下ると低地の窪地に出ます。NTT東日本関東病院のある窪地です。海抜約10m。関東病院に向かって右の坂を上がると池田山公園があります。古地図では松平内蔵頭の広大な屋敷になっていますが、備前岡山藩池田家屋敷です。姫路城で有名な播磨国姫路藩池田輝政徳川家康次女督姫と婚姻、その子池田忠継が初代岡山藩主となって松平姓を許されていたようです。ややこしいですね。池を臨む写真の公園の高台が24.8m。池田山自体の最高点は30mで谷向こうの寺町とほぼ同じ高さです。

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池田山公園から先の高台は瀟洒な邸宅地で区画整理されたお屋敷が並びます。美智子皇后の実家正田邸があったことでも有名です。今はねむの木公園になっています。関東病院の窪地の池田山とは反対側の崖上も、古地図によれば江戸時代は豊後国森藩久留島信濃下屋敷肥後国宇土藩細川山城守屋敷です。前者は畠山記念館(海抜27m)、後者は頌栄女子学院28m)の敷地になっています。頌栄女子の小道を桜田通りに抜けると正面に袖ヶ崎神社、右手が了真寺という禅寺になります。

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五反田駅に戻って今度は島津山に向かいます。ソニー通りと平行に二本奥に入ると左側が崖になっています。ここが島津山と呼ばれる丘陵です。江戸古地図では松平陸奥となっていますが仙台藩伊達家屋敷跡です。家康六男忠輝の岳父であったため松平姓を許されていたようですがこちらもわかりにくいですね。

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伊達家屋敷は明治に入って島津子爵邸宅となります。島津山の名前はそこから。伊達家が官軍であればこの山は伊達山と呼ばれていたかもです。現在は清泉女子大学になっていて海抜15.9mの清泉女子大学入口から先に進んだ高台(海抜24.5m)はまさに高級邸宅街。

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島津山の両サイドはかなりの勾配があって左右に複数の踊り場のあるまっすぐな階段があります。高低差フェチにはたまりませんね。

五反田の2つの山を歩いてみました。松平の称号を許された池田家と伊達家の大名屋敷の名残りが感じられる高級邸宅地でした。

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