東京街歩き高低差研究所

ブラタモリに憧れて国土地理院の海抜と江戸古地図を頼りにフラフラと。

赤坂の坂を探す(Akasakasakas)

赤坂はその名前の通り坂の街です。江戸時代からの大名屋敷町で古くからの坂があちこちにあります。溜池山王から乃木坂トンネルへ続く赤坂通りの左右に高台が形成されていて複雑な地形になっています。今回は職場近くのTBSから歩いてみます。

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Akasakasakasと名付けられたTBS社屋一帯は江戸時代の松平安芸守屋敷跡。安芸広島藩浅野家です。2代光晟の母が家康三女振姫だったため松平姓を許されています。忠臣蔵播磨国赤穂藩浅野長矩は分家になります。TBSに正門から入るとオールスター感謝祭のマラソンコースになっている心臓破りの坂道が出てきます。社屋でいうと1階から4階まであがる高さになります。海抜13mから27m。坂上にあがるエレベータもついていて関係者以外も利用できます。

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坂上のT字路の信号を左におれると道がクランクしています。赤坂通りにつながる三分坂です。かなりな急こう配です。坂道麓の報土寺には雷電為右衛門のお墓があります。三分坂上が29.4m赤坂通り12.8mです。

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三分坂から戻ってTBS坂上の信号を右に行くとまた右手に急坂がでてきます。円通寺です。坂上は海抜29.7m。こちらは一ツ木通りにぶつかります。円通寺坂の途中に見過ごしがちな石柱が埋まっています。かろうじて陸軍省所轄と読めます。戦前TBSのある一帯は近衛師団歩兵第三連隊の駐屯地だったようです。近衛師団とは最新鋭のエリート集団で天皇および宮城の警衛のために組織されていました。また東京ミッドタウンには陸軍第一歩兵連隊、国立新美術館には陸軍歩兵第三連隊が置かれていました。大名屋敷から軍隊の街に変わっていたんですね。

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円通寺通りから一本入ると丹後坂という階段の坂があります。そのまま直進すると牛鳴坂。坂を下ると青山通りに出てしまうので登ります。

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左手に山脇学園が出てきますがその角に立派な武家屋敷門が突如現れます。案内板によると江戸城東廊八重洲大名小路にあった老中方屋敷表門だそうで重要文化財三河国岡崎藩本多美濃守忠民による再建とのこと。

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そのまま直進すると右手に弾正坂という坂が出てきます。坂上28mですが坂下は14m青山通りをこえて赤坂御用地豊川稲荷の間を抜けていく坂道です。江戸時代の古地図には坂の左側に松平左兵衛督屋敷があります。鷹司松平家上野国吉井藩松平家)屋敷で坂の名前の由来は第7代松平信敬が弾正大弼になっていたことによるものと思われます。鷹司松平家五摂家のひとつである鷹司家庶子鷹司信平が実姉の徳川家光正室孝子を頼って公家から武家(旗本)に転身したことにはじまります。4代家綱の配慮で紀州徳川家の娘を娶り松平姓を許されています。2代のち信清が初代吉井藩主となり大名家となっています。

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左手に見えてくる赤坂ガーデンシティとパークコート赤坂ザタワーの敷地を抜けると赤坂の谷地が一望できます。目の前の谷地は黒鍬谷(海抜12m)と呼ばれていました。黒鍬とは江戸時代の五役(黒鍬之者、御駕籠之者、御掃除之者、御中間、御小人)といわれる職制のひとつで江戸城内の土木作業や草履取り等の雑事に従事していた集団だそうです。

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赤坂ザ・タワーの敷地を抜けると薬研坂に出ます。薬研とは漢方薬などをひく道具。よく昔の時代劇でコロコロ転がしていたアレです。V字型に両側から下るこの2つの坂を合わせて薬研坂と呼んでいます。円通寺側が29.5m青山通り側が28.5m、薬研の底が21mです。緩やかに湾曲しています。

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青山通りに出て左手に進むとすぐに高橋是清記念公園があります。江戸時代は青山備前守屋敷跡だったところです。第20代内閣総理大臣高橋是清の邸宅がここにあり226事件ではこの邸宅にいるところを青年将校たちに襲撃されています。赤坂の近衛師団歩兵第3連隊が襲撃に加わっていました。この距離感だったわけですね。海抜は30.6mの高台です。

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隣地のカナダ大使館脇を左手に入ると新坂です。江戸古地図では「志んサカ」と書かれています。坂を下り切ると道はカーブを描きます。坂上32mで写真の湾曲している辺りで16mです。

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赤坂で有名な珉珉という餃子屋さんがあるあたりです。ちなみに酢と胡椒でいただきます。醤油とラー油は禁止です(笑)

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しばらく行くと左手に稲荷坂があります。坂の登り口の左手に円通寺稲荷があったことに由来する名前のようです。ここを登ると先程の薬研坂円通寺坂よりに出て、そこから降ると黒鍬谷、ちなみにその下り坂の名前も稲荷坂でこちらの脇にも別の稲荷社があります。最初の稲荷坂の両側は御掃除之者の組屋敷があったようです。江戸城内の御殿の清掃に従事していた集団です。

さて、再び道なりに進むと赤坂通りの赤坂小学校前に出ます。海抜は14m程度。溜池山王方面に向かうと再びTBSです。

赤坂通りからの三分坂一ツ木通りからの円通寺坂、そして青山通りからの薬研坂。この3つの坂が形成した谷山が歴史を辿ると安芸浅野家屋敷であり、近衛師団第3連隊駐屯地でありTBSでした。ちなみにAkasakasakasを逆から読むと坂坂坂になっているそうです。

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