乃木坂はあるが赤坂はない。
前回に続いて赤坂の街。港区立赤坂小学校と赤坂中学校が赤坂通りを隔てて建っています。中学は崖上です。乃木坂駅方向に向かってジャニーズ事務所の手前に右に登る坂があります。
こちらは聖パウロ女子修道会の私道です。江戸時代は大名屋敷で毛利淡路守(周防徳山藩毛利家)の屋敷だったようです。高台に樹木が茂っています。聖パウロ修道会は社会的コミュニケーション手段(放送や出版等のメディア)を用いてキリストの言葉を広く伝えることを使命としてに設立されていて、女子修道会はその兄妹会。文化放送JOQRの設立も行い現在も筆頭株主だとか。知らなかった。
続く乃木神社も朽木近江守屋敷跡(丹波福知山藩)です。陸軍大将であり学習院の院長でもあり明治天皇崩御に際し静子夫人とともに殉死した乃木希典の住居があったところ。現在住居跡は乃木公園となり乃木邸も保存され、乃木希典は神として隣の敷地の乃木神社に祀られています。夏目漱石の『こころ』の題材にもなっています。
地下鉄乃木坂駅の目の前を走る赤坂通りが乃木坂です。今は乃木坂といえば希典でも神社でもなく乃木坂46なんでしょうね。ソニーミュージックエンターテイメント乃木坂ビルがすぐ近くにあります。
赤坂方面に戻ってすぐ右の細い道を進みます。生長の家所有の「赤坂いのちの樹林」という公園脇の細い階段を登ると東京ミッドタウンの裏手に出ます。ここは松平大膳大夫、安芸長州藩毛利家の広大な屋敷跡です。明治に入り陸軍歩兵第1連隊駐屯地、戦後アメリカ軍による接収を経て、僕らの世代的には防衛庁の跡地としての記憶があります。ジョージの店が懐かしいです。
檜町公園脇の檜坂を登り突き当たりの一方通行を左折します。道は下ってアメリカ大使館職員宿舎の正門にぶつかります。護衛の方がいます。もちろん入れません。こちらも相馬大膳亮屋敷(陸奥中村藩相馬家)と真田信濃守中屋敷(信濃松代藩真田家)を合わせた広大な高台の土地です。
左手に石垣に沿って登ると赤坂氷川神社ですが右に沿って進みます。ぐるりと回ると右手に六本木通りが見えてきます。そこからまっすぐ続く登り坂がなだれ坂です。写真は坂上から撮ったところです。この辺りはかつては麻布谷町と呼ばれたあたりで現在は住友不動産により土地開発がされています。六本木グランドタワーには神谷町からテレビ東京が移ってきています。首都高の谷町ジャンクションという名前に麻布谷町の名残があるのみです。
アメリカ大使館職員宿舎裏の小道に戻ります。左手の久国神社を過ぎてしばらく行くと南部坂です。石垣沿いに登ると洋食屋の津津井があります。昔はTBSのすぐ脇にありました。右手に曲がってしばらく行くと道は下り坂。その先はこれまた広大な筑前国福岡藩黒田家屋敷跡です。鴨池という広い池もあったらしく現在低地に広々と残る駐車場がその跡かもしれません。
また戻って石垣沿いに進みます。右手に森が見えてきます。赤坂エリアの氏神様である赤坂氷川神社です。祭神は素盞嗚尊。表参道は右手に入った氷川坂からのようです。徳川吉宗が造営した社殿が現在も残っています。木立に囲まれ鬱蒼としており同じ赤坂の日枝山王神社と比べると雰囲気が違います。
氷川坂を下って転坂を登ると赤坂氷川公園に出ます。突き当たりの白いお城のあたりからの高台一帯は江戸時代の相良越前守屋敷跡(肥後人吉藩相良家)です。維新後天璋院(篤姫)がしばらくの間ここに身を寄せていました。なお徳川16代徳川家達も廃藩置県の後に静岡藩知事を免職となり一時期一緒に住んだようで、その後千駄ヶ谷の徳川邸へ移り天璋院はそこでなくなっています。現在の東京体育館のあたりです。
赤坂の街をぐるりと歩いてきました。たくさんの坂と出会いましたが赤坂と言う名の坂はありません。タイトル通り同じ千代田線の駅でも乃木坂はあっても赤坂はないのです。