東京街歩き高低差研究所

ブラタモリに憧れて国土地理院の海抜と江戸古地図を頼りにフラフラと。

品川の高輪台地を巡る

泉岳寺駅から品川方面に第一京浜を進みます。駅を出るとすぐのビルの2階に社殿が見えます。車町稲荷神社です。まずは階段を登って参拝します。海抜は4.7m

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江戸古地図を見ると品川駅まで右側は寺社が続いてたようです。高輪大仏があったという如来は明治に入って西大井の方に移転したそうです。高輪神社も庚申堂太子堂来成寺と記されています。以前来た時に祭神に聖徳太子が入っているなとは気づいてましたがかつてはお寺だったんですね。廃仏毀釈の影響でしょうか。

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高輪二丁目を過ぎると突き当たりに寺社のあるゆったりとした道が右手に鋭角に出てきます。臨済宗妙心派別格本山東禅寺の参道です。緩やかに参道は登りです。山門のあたりは海抜9m

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東禅寺は池田山の備前岡山藩池田氏や島津山の仙台藩伊達家の菩提寺だったようです。また幕末には日本初のイギリス公使館も置かれていたそうです。攘夷派による二度の公使襲撃事件も起きています。二度目の襲撃事件の賠償は翌年の生麦事件の賠償問題の解決まで続きます。現在では敷地は随分減ったようですが境内に入ると三重塔もあります。立派な寺院です。海抜は11.6mあります。

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東禅寺手前、左手の高輪公園脇の小道を登ってみます。公園内には湧水もあるようです。昔は東禅寺の敷地内だったかもしれません。そのまま長い階段の坂を登っていきます。

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高台に出ます。階段下は13mほどでしたが階段上は20mあります。正面に竹田宮邸洋館が現れます。竹田宮東武皇帝北白川宮能久の第一王子(庶長子)恒久が創設した宮家です。幕末は薩摩藩島津家下屋敷でした。現在はグランドプリンスホテル高輪の貴賓館として使用されています。

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右手に進んで工事中の旧衆議院議員宿舎を過ぎて道なりにホテルの周囲を歩きます。土塀のある信濃飯山藩本多家下屋敷には味の素研修センターがあります。日露戦争の英雄大山巌元帥の邸宅もここだったそうです。海抜は29mまであがっています。

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薩摩邸を左手に二本榎通りを進みます。この辺りの薩摩邸跡は明治に入って北白川宮邸となり現在はグランドプリンス新高輪となっています。T字路右手は奥平豊前国中津藩下屋敷で、その後森村財閥創始者森村市左衛門の私邸となったあと森村学園となっていましたが、現在は仏所護念会高輪教会になっています。

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この先で道は直角に曲がり品川駅に突き当たる柘榴坂の下り坂になります。坂上25mありますが坂下は5mありません。右側の品川プリンスホテルの土地は筑後久留米藩有馬家屋敷跡、明治に入って毛利公爵邸。左手の薩摩邸のこの辺りは朝香宮東久邇宮になったのち京浜急行所有となっています。今はパシフィックホテル東京が名前を変えて品川グースという複合施設になっています。この辺りの土地の変遷は大名屋敷から宮家や華族邸へ、そして現代資本へとの歴史の流れを感じます。

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柘榴坂途中の信号を曲がって高台を尾根沿いに南下します。松平大和守(武蔵国川越藩)屋敷跡※と加藤越中守(近江国水口藩)の屋敷跡が続きます。かつては高台から海を見下ろせたはずですが、今では品川駅港南口のビル群が壁のように立ちはだかります。写真の高台で26.5m※松平若狭守とされた古地図もあるようです。

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御殿山交番に出て信号を渡って少し下った左手の階段を登ります。この一帯も高台で区画整理もされ御殿山と呼ばれる高級住宅街になっています。概ね海抜20mほどの平坦な住宅地です。江戸時代は松平出羽守(出雲松江藩松平家越前松平家)と松平相模守(因幡鳥取藩池田家)の屋敷跡でした。

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原美術館の前を過ぎ突き当たりが御殿山通りです。真っ直ぐ急坂を下ると北品川です。線路を渡らず御殿山トラストタワーの敷地を真っ直ぐ進むと八ツ山橋に戻ってきます。海抜18.5mほどからJRの線路の切りとおしの手間で12mほどまで下ります。

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写真の伊藤博文別邸はその後三菱財閥岩崎家別邸となり現在は開東閣とし鬱蒼とした森に囲まれた三菱グループの倶楽部となっています。中はどうなっているのでしょうか。直進すると品川駅です。海抜は5mまでさがります。

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ちなみに品川駅は品川区にありません。厳密に言えば今日歩いたエリアは御殿山の一部を除くと品川というよりは高輪エリアです。品川駅の南に北品川があってそこから旧東海道沿いに品川宿が始まります。その辺はまた次回に。

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