東京街歩き高低差研究所

ブラタモリに憧れて国土地理院の海抜と江戸古地図を頼りにフラフラと。

渋谷区東の牧場を探す

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渋谷駅を出て明治通りを恵比寿方面に進みます。木橋の交差点(海抜14m)を左折して坂を登ると金王神社前の信号があります。金王八幡宮は旧渋谷城本丸跡にある神社です。海抜は26.2m。渋谷氏の祖、渋谷重家の嫡男渋谷金王丸が名前の由来です。隣接する東福寺別当寺で渋谷区内最古刹とのこと。

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金王八幡の境内には渋谷城の石とされる石が残されています。渋谷城は源義朝とかの時代のようなので平安末期ですね。

さて、今回は明治通り六本木通りに挟まれた渋谷区東あたりを散策します。渋谷の東側という意味でしょうか。かつては常盤松町と呼ばれたエリア薩摩藩島津家下屋敷がありました。篤姫はこちらから将軍家に嫁いでいます。島津家屋敷はその後一部敷地を縮小し、現在は今上天皇の弟宮の常陸宮となっています。

こちらのエリア一帯は明治時代は皇室の御料地で、御料乳牛場として皇室に乳製品が献上されていたそうです。驚きです。渋谷に牧場があったんですね。

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※内藤紀伊守屋敷跡が後の薩摩島津家です

江戸古地図を見ると幕末の常盤松エリアは武家屋敷といつくかの寺社はあるものの百姓地や畑、田の表示も多く、他の切り絵地図エリアに比べて江戸の外れ感はあります。現在は常陸宮邸を始め、青山学院や実践女子、國學院大学等のキャンパスや公立の小中高等学校があり緑多い静かな文教エリアではありますが、牧場の名残りは当然全くありません。

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まずは先程の金王神社前からひとつ六本木通り寄りの信号を曲がって渋谷区渋谷図書館の方に進みます。左手は実践女子学園の敷地です。実践女子大学1903年飯田橋から移転しています。 緩やかに登った後下り坂になります。右手は江戸時代は松平美濃守屋敷(筑前福岡藩黒田家)、図書館の前が常磐松小学校で旧町名が残っています。

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渋谷図書館入口の信号を渡ると渋谷氷川神社があります。江戸古地図には氷川宮宝泉寺とあり今も隣接する宝泉寺別当寺だったようです。正面に鳥居が見えますが表参道は右側に回った側にあります。一の鳥居は海抜16.4mですが社殿は29.3mです。

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氷川神社の隣地が國學院大学。丘陵地全体にキャンパスが広がっています。海抜は30mほどの高台です。明治時代に国家神道が成立し大衆へ向けた皇道の教科活動を行う機関として開講された皇学講究所が母体です。現在神社本庁神職の資格が取れるのは國學院大学皇學館大学三重県伊勢市)のみだそうです。1923年にこちらも実践女子同様飯田橋から移転してきています。

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吸江寺を過ぎると渋谷区郷土博物館、郷土博物館前には珍しい白松(はくしょう)いう中国原産の植物(幹が白い松のような植物)が生えています。インスタ映えしそうな不思議な樹木です。

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その先左手が薩摩藩島津家下屋敷、現在の常陸宮邸ですが手前に常盤松の碑があります。坂を下って常陸宮邸を抜けたところが東四丁目の交差点。6叉路になっています。海抜は22m

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6叉路左手の坂上六本木通りの先青山学院敷地内から渋谷川に注ぐ流れがあったそうです。いもり川と呼ばれた流れです。今は暗渠になっているその流れを辿ってみます。東京女学館の方に下ります。突き当たりに如何にも暗渠らしい「いもり川階段」と書かれた段差のある細い路地があります。階段下の海抜は20m

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住宅街を縫うように暗渠が続いています。江戸古地図では田、畑と記され『此辺羽根沢村』と書かれています。確かこのあたりに羽澤ガーデンというビアガーデンがあって、社会人に成り立ての頃来た記憶があります。鬱蒼とした森に囲まれた日本庭園の記憶です。今は跡地は三菱地所に売却され低層の高級マンションになっています。一般開放はされていませんが一部羽澤緑地として渋谷区が緑の保全につとめているようです。海抜17.6m

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いもり川の暗渠脇には高台へ続く階段があったり、人ひとりが通れるくらいの路地があったり、まさしく暗渠のある風景が堪能できます。高低差フェチや暗渠好きにはたまりませんね。海抜も14mほどになってきました。しばらく進むと広尾祥雲寺の寺域だったという臨川小学校の東側に出ます。

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そのまま直進して明治通りを渡ると、暗渠の延長線上に細長い広尾一丁目児童遊園があります。ここがいもり川の終点のようです。公園を横切ると階段があり、下ると渋谷川が流れています。正面に見えるフェンスが渋谷川のフェンスです。このあたりまでくると海抜8mです。

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 臨川小学校を直進せずに右手に曲がると東北寺があります。出羽米澤藩上杉家、明治になってからは日向国佐土原藩島津家菩提寺になっています。

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東北寺の坂を上がった恵比寿プライムスクエア一帯は法雲寺福昌寺室泉寺等の寺院のある寺町です。

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渋谷橋に出て渋谷川沿いの明治通りを渋谷方面に戻ります。渋谷東商店会です。ひとつ道路を入ると下町っぽい町並みが残っています。銭湯もありました。まもなく渋谷駅です。

最後に乳牛場の話を再び。1871年黒田清隆開拓使次官として北海道の開拓を指揮する中で東京官園という農業実験場を作りました。北海道開拓のための種畜や種苗の研究所であったようで、今の青山学院初等部あたりに第一官園、青山こどもの城あたりに第ニ官園、そして広尾日赤医療センターあたりに第三官園があったようです。その後官園は廃止され1882年常盤松町エリアは御料地となり、1898年に北海道開拓に携わった榎本武揚が設立した東京農業大学(私立東京農学校)がこれまた飯田橋から御料地内に移転。1900年から25年間ほど常盤松には牧場(御料乳牛場)があったようです。関東大震災により旧薩摩藩島津家下屋敷あたりの土地が東伏見宮となり、その少し前國學院大学がこちらも飯田橋から移転。付近の住宅環境も変わる中、御料乳牛場は廃止されたようです。

戦後唯一名残を残していた東京農業大学も世田谷キャンパスに移転し、跡地は青山学院が購入し青山女子短大や中等部になっています。飯田橋駅近くに東京農業大学発祥の地の碑があるそうです。

 

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