東京街歩き高低差研究所

ブラタモリに憧れて国土地理院の海抜と江戸古地図を頼りにフラフラと。

2018-01-01から1年間の記事一覧

外櫻田を歩く。

今日は以前歩いた外濠の虎ノ門御門と幸門御門の間にあった新シ橋のあたりから霞ヶ関方面に進みます。海抜は5.2m。江戸時代の古地図にも桝形の城門のない橋として描かれています。文字通り天下太平時代の新しい橋だったのでしょうか。新シ橋からまっすぐ日比…

六本木を一丁目から

南北線シリーズ。今日は六本木一丁目駅から六本木の街を歩いてみます。3番出口から出ると首都高谷町ジャンクションに出ます。首都高で作られた三角地点の頂点は六本木二丁目の信号です。海抜は12.1m。この辺りはかつては麻布谷町と呼ばれていましたが、谷町…

白金台をいく。

白金はプラチナではなく銀です。あ、港区白金の話です。応永年間(西暦1400年頃)白銀長者と呼ばれた南朝の国司だった柳下上総介が当地を開墾し白金村を開いたそうです。当時の貨幣は銀ですから大金持ちといえば大量の銀を保有していたんでしょうね。 いつの…

穏田川の猫通りをいく

江戸切絵図(地図左下)にもあるように宮益坂の御嶽神社裏手の美竹通り辺りにはかつて江戸城紅葉山から移転した千代田稲荷がありました。関東大震災後、箱根土地(現西武グループ)による商業開発エリアであった道玄坂途中の百軒店(ひゃっけんだな)に移転…

東麻布界隈を歩く

西麻布にくらべるとあまり耳慣れないですが麻布十番の東側には東麻布もあります。麻布台の高台の稜線である外苑東通りと低地の古川に挟まれたエリアです。東側を国道1号が走り、西側を五反田方面からの桜田通り(白金高輪で分岐)の直線上にあたる麻布通り…

渋谷区東の牧場を探す

渋谷駅を出て明治通りを恵比寿方面に進みます。並木橋の交差点(海抜14m)を左折して坂を登ると金王神社前の信号があります。金王八幡宮は旧渋谷城本丸跡にある神社です。海抜は26.2m。渋谷氏の祖、渋谷重家の嫡男渋谷金王丸が名前の由来です。隣接する東福…

西麻布広尾を歩く

西麻布は麻布十番の西側のエリアで六本木通りと外苑西通りが交差しています。江戸時代には今は外苑西通り沿いの地下に暗渠となっている根津美術館や梅窓院あたりを水源とする笄川(こうがいがわ)が南北に流れ、天現寺あたりで渋谷川(古川)に合流していた…

麻布十番の高低差を愉しむ

麻布十番周辺は2000年の南北線の開通までは陸の孤島でした。タクシーでしか行けない不便なエリアでもありつつ、それが一部の層には魅力のエリアでもありました。六本木ヒルズ等一部で大規模開発は行われていますが、道路や地形は比較的昔のままを保っている…

三田綱町界隈を歩く

今日は三田駅からスタートして三田の丘陵地を歩いてみます。まずは慶応仲通り商店街を抜けます。入り口すぐ右手に三河岡崎藩水野監物中屋敷跡があります。赤穂浪士9名がお預けとなった屋敷のひとつです。海抜は3.8m。 三田通りに出て慶応義塾の東門(海抜7…

虎ノ門・新橋界隈をぐるりと

虎ノ門交差点(海抜6.5m)には虎がいます。江戸城外堀虎ノ門跡の碑です。この碑の対角線側で1923年(大正12年)虎ノ門事件という裕仁皇太子・摂政宮(昭和天皇)の狙撃事件が起きています。勿論未遂に終わりましたが当時の山本権兵衛内閣は総辞職、警視総監…

芝の旧海岸線を歩く

今日は田町駅からスタート。高低差のない旧海岸線を歩きます。国道15号に日比谷通りが合流する三菱自動車の本社前に江戸開場西郷南洲勝海舟会見の地の石碑があります。海抜3.5m。ここは江戸時代の薩摩島津家蔵屋敷です。すぐ裏は芝浦の海浜で舟で上方や領内…

御殿山の台場の謎を探る

1853年7月8日ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航します。12代将軍徳川家慶の病を理由に回答に一年の猶予をもらった江戸幕府は品川沖に11の砲撃用の台場を作ることを計画、早速実行に移します。フジテレビのあるお台場には台場公園として第3台場がそして台…

品川の高輪台地を巡る

泉岳寺駅から品川方面に第一京浜を進みます。駅を出るとすぐのビルの2階に社殿が見えます。車町稲荷神社です。まずは階段を登って参拝します。海抜は4.7m。 江戸古地図を見ると品川駅まで右側は寺社が続いてたようです。高輪大仏があったという如来寺は明治…

青山家の屋敷街を歩く。

渋谷駅から宮益坂を上って青山方面に向かいます。坂下が海抜19m、坂上は33mあります。そこそこの登り坂です。宮益坂の中腹、海抜25mほどのところの左側に御嶽神社があります。祭神は日本武尊。50段ほど階段をあがるとビルに囲まれた社殿があります。なぜ…

乃木坂はあるが赤坂はない。

前回に続いて赤坂の街。港区立赤坂小学校と赤坂中学校が赤坂通りを隔てて建っています。中学は崖上です。乃木坂駅方向に向かってジャニーズ事務所の手前に右に登る坂があります。 こちらは聖パウロ女子修道会の私道です。江戸時代は大名屋敷で毛利淡路守(周…

赤坂の坂を探す(Akasakasakas)

赤坂はその名前の通り坂の街です。江戸時代からの大名屋敷町で古くからの坂があちこちにあります。溜池山王から乃木坂トンネルへ続く赤坂通りの左右に高台が形成されていて複雑な地形になっています。今回は職場近くのTBSから歩いてみます。 Akasakasakas…

池田山と島津山の松平家を探る

五反田は有楽街の印象が強いですが桜田通りを境に池田山と島津山という2つの高台に高級邸宅地があります。ともに江戸時代の大名屋敷跡です。江戸古地図を見ると五反田は江戸の外れで目黒川に削られた崖上の高台に屋敷があるものの田んぼや畑の表示が目立ち…

神谷町の谷を探る

神谷町は愛宕山の西側にそった窪地で、現在は虎ノ門5丁目となり町の名前は消滅しています。東京タワーの最寄駅としての日比谷線の駅名と交差点名、そして僕らの世代的には最近まで近くにあったテレビ東京の呼称として残っています。なお江戸初期はこのあたり…

三田高輪の台地を探る

甲州街道の四谷大木戸からはじまって四谷の谷探しをはじめましたが、東海道にも高輪大木戸という所謂関所があったそうで、今回はそこから高低差の旅に出てみようと思います。 高輪大木戸跡は国道15号沿い田町と品川駅の間、都営浅草線泉岳寺駅近くの歩道にあ…

芝公園の謎をめぐる

芝公園というのは不思議な公園です。緑地帯全部が公園ではなく、むしろ緑地帯の周囲に点在しています。正式には25号地に分かれているそうです。中央に徳川家の菩提寺の芝増上寺。上下を西武グループのプリンスホテルの敷地が占めています。地図を詳しく見る…

四谷の谷を探す

四谷の語源はよくわかりません。四谷という地名は元和2年(1616年)甲州街道に四谷大木戸という関所が作られたのが初見のようです。今の四谷四丁目あたりです。そのころからこのあたりは四谷と呼ばれていたようです。普通に考えれば谷が四つあったんでしょう…

江戸城外堀跡を探る②

JR四谷駅を麹町口から出たところがまさに四谷見附の桝形門があったあたり。ちょうど四角いスペースが残されています。四谷雙葉方面に信号を渡ったところに石垣も残っています。四谷見附からまっすぐ新宿通りが皇居(江戸城)の方に伸びていて、つきあたり…

紀尾井町を歩く

内務卿大久保利通の哀悼碑がホテルニューオータニの向かい紀尾井町清水谷公園にあります。かなり大きな碑です。1878年(明治11年)『紀尾井坂の変』で大久保利通は暗殺されます。紀尾井坂は弁慶橋から向かって清水谷を左折した登り坂。ただ事変が起きたのは…

江戸城外堀跡を探る①

四ツ谷駅から上智大学沿いに外堀の土手沿いを歩くとホテルニューオータニの手前で土手が途切れます。喰違見附とよばれるここは江戸城36外郭門のひとつ。通常外堀の城門は桝形門と呼ばれる石垣で作られた強固な城門ですが、ここは土手を鉤型に互い違い(喰…